ARROW
社名 Drew Price Engineering Pty Ltd.   (AUSTRALIA)
創業 1974年
代表 Drew Price
創業者 Drew Price
住所 57-59 Nantilla Road, North Clayton,
Melbourne, Victoria 3168 Australia
Tel: +61-3-9545-3944
Fax: +61-3-9545-3743
F1オーストラリアグランプリ開催場所から車で30分程

主な戦績
Australia Championship 多数
(オーストラリアでは圧倒的なシェアを誇る)


歴史、エピソード
オーストラリアカート界においてDrewPriceの名前を知らない者はいません。
オーストラリアチャンピオン8回の彼は、17歳の頃からカート製作を始め、現在はオーストラリアの最も大きなカート製造会社DrewPriceEngineeringは、19名のフルタイムの従業員を抱え一年間に1300台以上のカートを作るまでに成長しました。
1972年、彼の両親の車庫からカートビジネスがスタート
1974年、最初のシャーシ、ACE KARTを造りました。
1978年、会社は"Warrigal Road, Oakleigh"の工場に移転。
1977年〜1980年は、輸入カートの値段が劇的に下がったためカートの製造を一時中断
1980年中頃、Demon Kartという名前でカートを再び作り始め。これは、年産300台に迫ろうかというほどの大きな成功でした。Demonに続いたのが、DemonD2、DemonX、X6、X8、XP2で、1996年まで生産が続けられました。
1984年、レース専用カートとしてARROWは生まれ。最初は、Arrow続いてA6、A9S、AX5 そして有名なAX6です。
つい数年前、DPEはMelbourneのClaytonの新しい芸術的な工場に移りました。より大きく、ヨーロッパ以外では最も近代的な設備を持っています。ここには、3つの重要な部門がありそれは、自社生産のものと輸入品の総括的な供給、ARROW-AX6の製造そしてブリヂストンとの契約です。
現在この新しい工場に移って、以前の住所に比べてテストにいく機会に恵まれているため、1-2人のドライバーを連れて週の半ばには、さまざまなコースに行き、データロガーを使い様々なテストをこなしております。 このテストの総量が増える事で、今まで以上により競争力ある生産品を造ることが出来ます。
AX6は今までで最も売られたオーストラリアのカートです。 このことに、DPEは特に誇りを持っています。 ブレーキキャリパー、マスターシリンダー、ホイール、ステアリングを除いてDPEはシャーシとその他の部品を全て自社内で製造しています。

最後にDrewPriceのメッセージとして、彼の人生を左右したスポーツについて、「カートは、モータースポーツにおいて、とてもピュアなものです。それには、レースのすべてが詰っています。カートレースは私の人生です。車でのレースもエキサイトなものでしたが何かが違っています、たぶんその大きな理由は、私が楽しんだかどうかでしょう。残念ながらカーレースはお金によって左右されます、そしてこれが大きな部分を占めるのです」と情熱的に語っています。


DrewPrice and DPE オーストラリアカートの伝説
オーストラリアカート界においてDrewPriceの名前を知らない者はほとんどいない。
オーストラリアカートチャンピオン(八回)は、17歳の頃からカート製作を始め、一年間は文字どおり無報酬であったがそのおかげで彼は商売を学ぶことができた。
現在DrewPriceEngineeringは、19名のフルタイムの従業員を抱え一年間に1000台以上のカートを作るオーストラリアの最も大きなカート事業者です。
私たちは最近、Drewとカート界がこの20年間どう変わったか、DPEがどう変わらなければならなかったか、オーストラリアのグレートドライバーの一人のレースキャリアと共に語りました。

若い頃から熱心なカートレーサーであったDrewの8回のオーストラリアタイトルの最初の勝利は彼が16歳の時でした、それは、1971年の"Brunie"でのことでした。
一年後、商売を学んだ後、Priceは、彼のボスのEricWalshから権利を買い上げ、彼の両親の車庫から彼自身のカートビジネスをスタートさせました。彼はGrahamBlanchardと一緒に仕事をするまでエンジンのリビルトとパーツの販売に専念していました。 一緒になって作った最初のシャーシは、ACEカートでした。
1978年、会社は"Warrigal Road, Oakleigh"の工場に移りました。
DPEで長い間、総支配人をしているGeorgeTurtonは、他の二人の従業員とともに年間100台も作らなかった時期から一緒に仕事を始めました。
それから5年、1985年にSouth Oakleighから下ったCarinish Roadの新しい工場に移る前まで、DPEは成長を続けました。 DPEは輸入カートが劇的に値段が下がった後の1978年から1980年まで実際カートの製造を止めていました。 商売上、その時は、その事は、たいした問題ではありませんでした。
1980年代初頭カートは、一般化し始めました、そしてすぐその後、オーストラリア製カートが再び復活するようになりました。1980年中頃DPEが再び製造を始めた時、Demonカートは生まれました。これは、年産300台に迫ろうかというほどの大きな成功でした。Demonに続いたのが、DemonD2、DemonX、X6、X8、XP2でした。Arrowは1984年にDPEのクラブマンクラス向けとして生まれました。最初は、Arrow続いてA6、A9S、AX5 そして有名なAX6。Demonブランドは、Arrowと平行に昨年(1996年) 生産中止になるまで作られつづけました。
カートは、この20年の間にドラマチックに変わりました、DPEは、今日までカートスポーツとともに進化し発展してきました。
「1983年のクラブマンクラスがオーストラリアカート界の最も大きな変化の時だったというのは疑いのないことです。」とDrewは語る。「クラブマンクラスは唯一のオープンクラスでした。そしてその当時のエンジンは、確実に今日のものと同じように信頼できるものではありませんでした。」 クラブマンと共にオーストラリアカートスポーツは大きく成長しました。これは、80年代初頭のことでその頃、私たちは、Demonブランドのカートを作っていました。「偶発的にクラブマンクラスが有力なレースとしてスタートした時、私たちは、クラブマンクラスに狙いを定めたArrowカートをスタートさせました。」
「否定的な面から、オープンクラスのレースは、近年、意味ありげに衰退しています、私たちは現在そのときの状況を分析するに多くのプロドライバーたちがステップアップする意図も無くクラブマンクラスにとどまっていたのです。」
それは、DPEの新しい計画を考え始めるまで長くは必要ありませんでした。
「私にとってその当時、オーストラリアの高いレベルでの成功が無いことは非常につまらないことでした、最近、芽を出したようなクラスがたくさんありましたがそれらは、それぞれ外見だけが違う程度のものでした、そのため、いまだに人々をステップアップさせ吸収するような確実なクラスはありません。」
125cc水冷Rotaxエンジンについて
「約5年前、ToineHezemansとヨーロッパでのワンメイククラスにおけるレースの実際について話し合いました。」 Hezemansは、世界中で最も喝采を受けるエンジンチューナーの一人として評判になる前は、1970年代の世界的スポーツカーレーサーの一人でした。"ROTAX by Hezemans"という文字は世界のカートシーンで成功の同義語となりました。 「私は、またオーストラリアでのYamahaクラスの成功について説明しました。しかし、それにはまだ欠点があるということも」とDrewは説明します。「最も有望なエンジンをカートレース向けに作るという結論になりました。」
完成した製品は、クラッチ、電気スターターとリードやロータリーと同じ位の28馬力のパワーを持った125cc水冷エンジンでした。それは、チューニングする必要も無く焼付くことも少なく、押しがけも必要無いもので。シーズンが終わるまでリビルトすらしなくて良いというものでした。800mくらいのサーキットではリードエンジンのカートに比べて0.4-0.6秒位遅いことでしょう。値段は、すべて含んでAU$2,600-AU$2,700。
「これにより、多分、人々はクラブマンクラスからオープンクラスのレースに吸い込まれるでしょう」 Drewは続けます「私たちには、レース用にエンジンをフレームに組み付ける時間も十分無いにもかかわらず十分なポテンシャルがありました、私たちの主な目的は、エンジンの改良とそのレポートをRotaxに伝えることです」
Drewは、遠慮なく打ち明けました、この計画は、彼にレースに対する情熱を新たにさせ、そしてレースへの復帰のきっかけとなりました。
「何も問題はない、私は確実にこのエンジンで再びレースに戻ると思う」 これは、オーストラリアのグレートドライバーのうちの一人のレースキャリアが再び始まることを意味するのですか? 多聞そうであろう。
DrewPriceは、長くそしてとても秀でたレースキャリアを持っています。それには8回のオーストラリアカートチャンピオンを含んでいて、その最初のタイトルは1972年で最後は1987年PerthのCockburnでした。無数の州や地方のチャンピオンシップと共に1980年の世界選手権では、あのAyrtonSennaともバトルをしました。「あれは、私の唯一の海外レースでまったく成功したものでは有りませんでした、私たちは実際ファイナルへ進むことはできませんでしたそのおかげで幸運にもSennaが2位になるところを見ることができました」Drewは、1989年までレースを続け、カーレースでの数シーズンのレースキャリアを終わる前にOrangeNationalレースでGregSmithに次ぐ2位で終わりました。
「カーレースの面で起こったことは、トヨタのTonyNiovanniをカートに誘ったとき、1985年にカローラのドライバーにどうだといってきました、私はトヨタで4-5年レースをしてFormulaHoldenに進みました。出費の割にはグレートなドライブでした」フォーミュラでのドライブでPriceはオーストラリアチャンピオンシップのSandownでMarkSkaife、MarkLarkham、NeilCromptonたちと戦い勝ちました。たぶんもっとも重要なことは、彼の評価がオーストラリアのベストレーシングドライバーの中の一人だということで固まったことです。
これにより、次の年、FredGibsonの日産GT-Rのファクトリードライバーの話がくる前に1990年のBathurst1000でGlennSetonとドライブすることへと進みました。1993年Drewは、SetonFalconのセコンドシートをオファーされていましたが、PhillipIslandでのテスト中の240km/hでのクラッシュは、彼を両足骨折と車の大破で意識不明にさせました。「私は、クラッシュのことについて何も思い出せない、ただドライバーのミスだということだけは断定できる」「これが私のカーレースの終わりです、きわめてがっかりさせることですが」とDrewは言う。多くの人たちは知らないでしょうが、Priceが10代の頃、MiniとEscortSportsSedan両方のレースもしていました。
カーレースがカートレースと同じ位、面白いかどうか聞いたとき、Drewは、情熱的に彼の人生を左右したスポーツについて語りました。「カートは、モータースポーツにおいて、とてもピュアなものです。それには、レースのすべてが詰っています。カートレースは私の人生です。車でのレースもエキサイトなものでしたが何かが違っています、たぶんその大きな理由は、私が楽しんだかどうかでしょう。残念ながらカーレースはお金によって左右されます、そしてこれが大きな部分を占めるのです」
Drewの目から見てベストなオーストラリアのカーターは誰ですか?「疑いのないRussIngallがベストだという以外にそれは、いろいろなことを考えるとこっけいだ、最近、彼はツーリングカーに参戦しているが、最近GlennSetonにそれを話したとき、彼は私に彼はカートを好きなのか?とたずねてきた、私の答えはいろいろなことが変わってそうは見えないよと言うことでした。Russellがレースで勝ち、2番では決してないのにトラック上で誰にでも良い顔をしなかった時、あなたは彼がベストだと言わなければなりません。もう一人は、JohnPizarroです。彼は、確実でスマートで道具に対して賢い大変良いドライバーです。彼ら二人が、私がいえるベストですそれ以外はそのカテゴリー上では見られません。 私たちがインタヴューしている人は除いて。
本当にオーストラリアでベストなドライバーは誰かと聞くとDrewはコメントする前に最初にリストを上げました。「私はたぶん何人かは忘れているでしょうが、私の見解としてトップドライバーはTroyHunt、MarkWinterbottom、JamesSera、NickAgland、BenSavageそしてJeromyLohmann、JamesCourtney、RyanBriscoe、BenHorstmannたちです。しかし個人的に同時に彼らをレースで見たのは数回です。私にとって良いドライバーというのは、確実に大きな大会で勝てるような人物です。速いドライバーはたくさんいます、しかし日曜の午後に前列ににいるわけでは有りません」
DPEでベストのドライバーがかつて走りましたか? 沈黙があり、返事の前にいくつかの名前が紙に書き記されました。「GregSelwood、DarrenHossack、JasonWebster、PatrickBuckley、MarkWinterbottom、ClintCathcart、NickAgland何人かは忘れているかもしれない」
つい数年前、DPEはMelbourneのClaytonの新しい芸術的な工場に移りました。より大きく、ヨーロッパ以外では最も近代的なカートレーシングの設備を持つったということをDPEは真に印象付けています。 これは、オーストラリアの最も大きなカートビジネスです、3つの重要な部門がありそれは、自社生産のものと輸入品の総括的な供給、ARROW-AX6の製造そしてブリヂストンとの契約です。
AX6は今までで最も売られたオーストラリアのカートです。 このことに、DrewPriceEngineeringは特に誇りを持っています。 「AX6に私たちは、資金を投入して、他のカートよりもさらに開発を進めます。 私たちは、オーストラリアのカートの基準点となり、それはヨーロッパのトップクラスのカートと同じレベルであることをうれしく思います」ブレーキキャリパー、マスターシリンダー、ホイール、ステアリングを除いてDPEはシャーシとその他の部品を自社内で製造しています。
「私は、オーストラリアの製品が頑丈なことを信じています。それでAX6が輸入カートに対して優位だと喜ばれています」ヨーロッパのカートが市場に流れ込んでいるようですが? 「そのとおりです。そしてAX6が私たちの答えです」「たとえばSydneyが、ヨーロッパカート市場の伝統的な場所であるにも関わらず、Sydneyにおいて、以前にも増してAX6が大きなシェアを持っています。」 又、「私たちの時期モデルはAX6の後継ということでとても難しいでしょう、それは完全に新しいデザインよりもAX6の修正と進化のようなものでしょう。 しかしながら、私たちが全体的により良いと確信しなければ何か新しいものへとは進まないでしょう。」
現在この新しい工場に落ち着いて、DPEカートレースチームは以前の住所のときに比べてしばしばテストにいく良い機会に恵まれています。 「私たちは1-2人のドライバーを連れて週の半ばにさまざまなコースに行きますそしてデータロガーを使いテストをこなしていきます。 テストの総量が増えそれが生産品に結びつきます」
このClaytonの新しい工場に移ることは、2年以上前からスタートしていたものです。 「私たちがいた所が、手狭になったので移動したのだが、これは発展の続きでしかない。 引越しは16ヶ月かかり、私たちは、それぞれの部門ごとにやった。 現在、完全にセットされそれは、幻想的でさえあります。 私たちは、すこぶる在庫と品質管理が改良され、もちろんすべての組織がより良いものになりました。」
DPEが、世界規模でのカート製造者という見地からオーストラリアのリーダーであることは疑いのないことです、彼らは、ベストのランクに位置されるはずです。 DrewPriceEngineeringは、本物のオーストラリアの成功物語をハードワーク、良好な経営、長い期間の集団、大きな雇用、そして25年に渡るカートレース活動によって一歩一歩作り上げました。歩みを止めようとはしません、25年後、あなたが驚く何かを作っていることでしょう